情報処理技術者試験☆合格への道

ライフワークとしての資格取得ブログ presented by Pman






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  • ニックネーム:Pman
  • プロフィール:
     情報処理サービス会社に勤務。主に金融業のソフトウェア開発、システム運用・保守を担当。メインフレームからオープン系まで広く浅く経験。資格取得はライフワークとなりつつある。
    保有資格
    システム監査技術者
    プロジェクトマネージャ
    アプリケーションエンジニア
    テクニカルエンジニア(システム管理)
    ネットワークスペシャリスト
    情報処理技術者(一種、二種)
    電気通信主任技術者(第一種伝送交換)
    工事担任者(デジタル第1種)


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合格して何が変わったか Part3

テクニカルエンジニア(システム管理) (SM)

 「仕様ミスで計算結果の一部が誤って出力されるのと、運用ミスでデータの一部が抜け落ちてしまうのでは、後者のほうが致命的だろう」という話を以前ユーザーがしていた。もちろん万事がそうとも言えまい。例えば預金口座の金額などは1円の狂いも許されないのだから。でも、私の経験上、運用ミスというのはすぐに表面化するし、放っておくと重大な障害になってしまうことが多い。こうした意味から、キャリアパスに沿って二種、一種、アプリと進んできた私は、次のステップ(PM)を目指す一方で、システム管理についても極めたいと考え、3度目の正直でやっと合格できた。
 SM取得によって、私は視野が広がった。システム開発中であっても、リリース前の移行作業とか、リリース後の運用のことまで考えて仕事を進めることができるようになった。一般に開発者というのは、自分の仕事の範囲を限定してしまい、担当外のことは知らぬ存ぜぬという人が多い。それはそれで責任の分界という意味ではまちがっていない。しかし、システム開発というのは、いずれ運用されることを前提に行われるのだから、運用のことも知っておく必要がある。
 私の場合も運用に足を突っ込んだ挙句、開発後の保守フェーズまで含めて面倒を見る羽目になった。保守フェーズなんて言うと聞こえはいいが、要するに潜在バグの尻拭いとか運用改善などである。非常に地味な仕事だと思う。しかしながら、ブログの「合格時の再現論文」でも示したように、重大な障害が発生したとき、システム管理エンジニアの役割は極めて重要になる。単に障害の解析や切り分けができるといった技術的なスキルだけでなく、組織の内外で人を動かし、障害による被害・影響を迅速かつ最小限に食い止めるといった高度な管理スキルが求められる。管理者としての視点は、仕事ではもちろんのこと、次の資格取得に向けても大いに役立った。

プロジェクトマネージャ (PM)

 4回目の挑戦でようやく合格証書を手にしたとき、ただの紙切れにしないように頑張ろうと思った。もう多くの人は気づいているだろう。情報処理技術者試験は、持っているに越したことはないが、持っているだけではあまり意味がない資格だということを。私は今までいくつかの資格を取得したが、どれも持っていて「損」はない。でもうまく使わなければ「得」もない。車の免許と同じで、車を使ってはじめて価値が生まれる。ペーパードライバーでは何も生み出せない。
 PM合格から約半年たつが、何が変わったかと言うと、自分としてはあまり大きな変化は無いと思っている。プロマネは私の本職ではない。私はプロジェクト責任者ではなく、開発から運用までを縦横無尽に渡り歩くプレーヤーである。プレマネ(プレーイング・マネージャー)と呼んでもいいが、実際のところマネジメント的な仕事の比率は30%くらいか。微妙な立場にいることはお分かりいただけると思う。だがこういう立場も悪くない。もし100%管理という仕事だったらつまらないだろう。30%くらいがちょうど良い気がする。
 しかし、プロジェクトマネージャを取った以上、今の状態のままでは少しもったいないかなと思う。私は試験勉強の過程でいろいろなことを習得したが、これを実務に活用していかないと宝の持ち腐れになってしまう。宝とは合格証書のことではなく、勉強によって身につけた体系的な知識のことである。折しもIT業界はプロマネ不足と言われているようだ。会社が技術職に取らせたい資格のトップでもあるらしい。こうした状況を考えると、自分の仕事のやり方を一度見直し、プロジェクトマネジメントの要素を増やしていく必要が出てくるかもしれない。本音を言うと、プロジェクトの全体責任者など私には荷が重すぎると感じているが、そうなる日がいつか来るとしたら、受け入れるだけの心の器を用意しておきたい。
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合格して何が変わったか Part2

テクニカルエンジニア(ネットワーク) (NW)
 (旧ネットワークスペシャリスト)


 初受験のときは、オンライン技術者とかいう名称だった。全然やる気がなく、いつか取れればいいぐらいに思っていた。その後名称が変わり「ネットワークスペシャリスト」になったときは、カッコイイ呼び名だなと思った。しかし当時の合格率は5%にも満たず、かなりの難関であることは明らかだった。厳しい条件ながら(たしか2回目の受験だったと記憶しているが)合格できたのは、偶然もしくは奇跡と言うしかなかった。
 インターネットがビジネスで使われるようになる一世代前の時代は、ISDNが注目されていた。また、フレームリレーや閉域接続といった技術が一般化し、世のエンジニアはネットワークのことを知る必要が急速に高まった。私は当時、汎用機によるソフト開発が中心であったが、次第にユーザーが分散型のシステム、いわゆるクライアント/サーバ型システムに興味を示すようになったことで、ネットワーク分野の知識がどうしても欲しくなったのである。
 NW取得後は、周りの人間から一目置かれるようになった。なにしろ「旬」の資格である。専門はメインフレーム上のアプリ開発でありながらネットワークを持っている、というのが強みであった。つまり、自分の仕事に直接関係のない分野であっても、将来にわたり仕事の幅を広げていくとか、重要なキーワードを知っているのでユーザーと会話するときに役立つなど、メリットは大きかった。しかしその反面、一種取得後と同じように、自分の実力が資格レベルより見劣りするという悩みがあった。所詮は机上で学んだ教科書的な知識にすぎず、実務への応用力という意味では、私は無力だったと思う。とは言いながら、あの時代にNWを取ったのは価値があった。10年前の技術は陳腐化してしまったものも多いが、その時に身につけたネットワークのセンスというか基本的な考え方は、今でも役に立っていると実感している。

アプリケーションエンジニア (AE)

 AEは初受験で落ちた後、いろいろと事情があって翌年は受けなかった。しかし、さらにその翌年、このまま終わりたくない、もっと高い壁を超えてみたいと一か八かの勝負に出たところ、運よく合格した。論文の出来からして95%不合格と思っていたが、こういうこともあるんだなと、採点結果に対する意外性を感じたものだった。合格者一覧に自分の番号を見つけたときは飛び上がって喜び、その当時は深夜0時が発表だったので、朝まで興奮してほとんど眠れなかったのを覚えている。
 昔の話ばかりして恐縮であるが、以前は「特種」という一種よりさらに上位の資格が存在したが、今はない。特種とアプリケーションエンジニアを同等と考えている人もいるようだが、特種のほうが守備範囲は広かったようで、論文テーマは開発だけでなく運用やプロジェクト管理なども含まれていたらしい。私がAEを取ったとき、会社の上司が特種のことだと思って随分ほめてくれたが、それほど特種は、情報処理技術者のブランドとも言うべき価値を持っていたと私は思う。
 話は戻るが、アプリケーションの開発は私の得意とするところであった。したがって、資格の勉強によりエンジニアとしてのスキルアップを目指すというよりも、経験を通して身につけた知識や能力を客観的に証明するものとして資格取得があった、と言うほうが私にとっては当てはまる。確かに、論文の勉強をしたことによって文章表現力が向上したという効果はあったにしても、それは副次的なものである。何よりも、AE合格によって、私は情報システム開発のリーダー的存在として会社に認められたことが、最大の効果と言える。一種のころはまだ若すぎた。ネットワークのころは実力が伴わず。でも、アプリケーションエンジニアは、当時の私に最適な技術者像だった。おそらく技術者としての私の人生の中では円熟期を迎え、脂の乗り切った時期だったと思われる。

合格して何が変わったか Part1

 当ブログでは、どうやって勉強を進めていくのか、あるいは、どうすれば合格に近づくのかというテーマに重点を置いてきた。今回は少し視点を変えて「試験に合格した後の私の姿」つまり、私について何がどう変わったのかという話をしてみたい。

基本情報技術者 (FE)(旧二種)

 会社にはいって二種を取ることが私の最初のノルマだった。当時の試験はまだC言語もJAVAも無く、多くの受験者はCOBOLを選んでいた。私の場合も上司から、まずプログラムを組めるようになれと言われ、COBOL漬けの日々が続いていた。そうした状況にあって、午後試験のプログラミングは仕事に直結するので意欲的にやれた気がする一方で、午前の選択式はコンピュータに関する知識など幅広く問われるので非常に苦痛だった。昔は、数学とか英語なども選択問題に含まれていたので、学生の延長のような試験であった。一体どのくらい勉強すれば受かるのかまったく見当もつかないまま、がむしゃらに勉強して試験に臨んだ結果、一発で合格できたときはたいへん嬉しかったと記憶している。
 けれども、二種を取ったからといって、すぐに仕事がバリバリできるようになるわけではない。私はやっと登竜門をくぐったばかりの若造にすぎなかった。試験によって得た知識は、情報処理技術のほんの一部にすぎないのだから、合格と不合格の間にさほど大きな差は無いという感じはした。実際のところ、二種さえ持っていない無資格の先輩もいたが、それでも普通に仕事はできていたのだから。
 しかしながら、合格したという事実は、私にとってプラスになったと思う。知識・技術面よりも、むしろ精神面への効果が大きかった。まず一つの目標をクリアしたことで、社会人の仲間入りができたような気持ちになった。自分が成長していくための土台が作られたのである。負けず嫌いな私は、二種を取ってまもなく一種に目を向けた。プログラマーを早く卒業してSEを目指したいと思うようになった(2番より1番がいいという単純な考えだった気もするが)。二種合格後の私は、向上心が増したことで仕事に対する意欲も飛躍的にアップした。また、資格取得によって、一定の成果を出すためにはどの程度の仕事量をどのくらいのペースでやっていけばいいのかが感覚的に分かるようになった。この点がじつは最も大きな収穫だったと思っている。

ソフトウェア開発技術者 (SW)(旧一種)

 二種合格の勢いで、一種も何とか初受験で合格できた。勉強を始めたときに、これは二種のように甘くないぞと感じつつ、受験することを公言してしまった以上、引くに引けなくなったのである。結果、そのプレッシャーを利用してより高いハードルを超えられたことは、大きな自信につながった。一種を取得したことにより、この業界でどうにかやっていけそうだと感じた。
 しかし、一種を取ったら一人前のSEなのかと言えば、答えはノーだろう。そもそもSEという言葉の定義もかなり曖昧だ。当時の私は、設計書を作るのがSEの仕事だと思っていたのだが、システムエンジニアとはそんな単純な職業ではないことがだんだん分かってきたのである。一種の問題は、午前も午後も難しかった。かろうじて合格できたとはいえ、本当に一種レベルの実力が自分にあるのかと言えば、やはり答えはノーだった。まだまだ知らないことが沢山ある。けれども周りの人々は、一種持ちの私なら知っているだろう、できて当然だろうという見方をしてしまう。こうして私は、自己の能力と周囲の目との間のギャップに悩みながら、いよいよコンピュータ業界の荒波にもまれることとなったのである。
 折しも日本はバブル崩壊による影響が目に見えて表れてきた頃だった。私の会社もその影響をもろに受け、リストラが行われた。その時、真っ先にリストラ対象になったのは年輩でかつ無資格の社員だった。この時ほど私は、資格というものの重さを感じたことはなかった。一種まで持っていれば大丈夫、などという噂がどこからか聞こえてきたものの、私は複雑な心境だった。経験よりも能力なのか、実績よりも将来性なのか、大切なのは、いったい何なのだろうか・・。昔の話であるが、いろいろ考えさせられる時期であった。
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